上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
2015年 鎌倉翻訳勉強会  
Winesburg, Ohio
by Sherwood Anderson

MOTHER (その1、4月6日)+

 二〇一五年度の鎌倉翻訳勉強会はアメリカの作家シャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』です。これまで既訳のある作品はできるだけ避けて、先人たちの訳業に振り回されないように仕組んできましたが、英文学を離れてアメリカ文学も勉強しておきたいと願って、迷った末のアンダソンです。ノーベル賞を貰ったフォークナーやヘミングウエイと同時代人であり、先輩です。ぼくはもう半世紀前のことですが、このアンダソンの先輩であるセオドア・ドライザーに傾倒して全作品を英語版、ロシア語版で買い込んで読んでいました。それまでバルザックやドストエフスキーを読んでいたぼくにとって、ドライザーはまったく新しい文学の地平でした。当然のことながら、フランク・ノリス、アプトン・シンクレア、ドス・パソスなどその前後の作家たちも読みました。
 最近はこのあたりの文学が流行らないのが、あるいは古典新訳といって一九世紀から片付けているのか、少々さびしい気がしますね。

 『ワインズバーグ・オハイオ』には橋本福夫さんと小島信夫さんの翻訳があります。それからいずれも古書になりますが、一九六四年『黒い笑い』(斎藤光訳)、一九七六年『アンダスン短編集』(橋本福夫訳)があります。ぼくの翻訳した『世界でいちばん面白い英米文学講義』と『人生最期のことば』にも、上記の作家たちのことが書かれています。

 アンダソンに関連して南北戦争時代のアメリカの詩人ホイットマンについても考えましょう。これは九月期になりますか。

 今回の「解題」では、既訳のあることを多として小島・浜本訳、橋本訳を併記しました。

text:
Elizabeth Willard, the mother of George Willard, was tall and gaunt and her face was marked with smallpox scars. Although she was but forty-five, some obscure disease had taken the fire out of her figure. Listlessly she went about the disorderly old hotel looking at the faded wall-paper and the ragged carpets and, when she was able to be about, doing the work of a chambermaid among beds soiled by the slumbers of fat traveling men.

解題:marked with smallpox scars:ここで「疱瘡」「天然痘」のいずれかを選ぶのですが、ひょろひょろした生気を失った四十五と言っただけでエリザベスがどのような顔立ちが判断できます。smallpox はできるだけ「小さくて、頬一面でない」ことを願ってしまいます。外国人の女性では、若いときから顔一面にそばかすのある人がいますが、なんだか、困るな。
 ぼくは「疱瘡」を選びました。「あばた面」にするか迷いますが、なんだかこの「母親」に同情してしまいます。

soiled by the slumbers of fat traveling men:肥えたセールスマンが寝込んで汚したくった。
 fatには「商売達者な」という語義もあるようです。たんに「太った、肥えた」では不満ですね。slumbers は主に文語、眠り、(とくに)浅い眠り、うたた寝、とあります。旅先の宿で熟睡するはずはない、履いているブーツも脱がずに、そのままベッドに横になったセールスマンたちの様子が浮かんできますね。これがガンマンだったらまさに「西部劇」の画面です。

she went about: 辞書を見ると、 ~を(特定のやり方で)行う、 〜に取りかかる、〜に取り組む;(場所)を歩き回る。とあります。ここでは「例のごとくメイドのやる仕事にとりかかる」となります。

when she was able to be about: 『リーダーズ英和』で、be about to do (1) =be (just) ~ doing 今にも…しようとしている。be about to do は be going to do よりも文語的で ‘be on the point of doing’ の意をより明確に表わす、とあります。辞書をみなくてもbe aboutとあれば語感で分かるよ、と落ち着いていると、思わぬ失敗につながることがあります。

the disorderly old hotel:雑然とした、老朽ホテル。以前キャサリン・マンスフィールドの「おとなしい男」を勉強しましたが、冒頭の一節、
HE stood at the hall door turning the ring, turning the heavy signet ring upon his little finger while his glance travelled coolly, deliberately, over the round tables and basket chairs scattered about the glassed-in veranda. He pursed his lips–he might have been going to whistle–but he did not whistle–only turned the ring–turned the ring on his pink, freshly washed hands.
が思い出されます。アメリカの中西部と、地中海にある保養地、なんだか「うらぶれた情景」が共通していませんか。どちらも一九一〇年代に書かれています。それも、まったく違った読者を相手に。

a chambermaid:メイド。hotel を「旅館」としないで「ホテル」とするなら「メイド」。いずれにせよ「女中」という言葉は、もう死語ですね。

小島・浜本訳:ジョージ・ウィラードの母親、エリザベス・ウィラードは、背の高い、やせぎすの女で、あばら面をしていた。齢はまだ四十五だというのに、どんな病のせいかしらぬが、その姿かたちからは生気というものが抜けてしまっていた。彼女はいかにも気のない様子で、乱雑な 古い旅館のなかを歩きまわり、色のあせた壁紙や破れたカーペットに眼をやった。 それから、動く元気のあるときは、肥えふとった旅商人が眠りをむさぼったあとの汚れたベッドの片づけなど、本来なら掃除婦 のやる仕事をした。

橋本訳:ジョージ・ウィラードの母親のエリザベス・ウィラードは背の高い痩せこけた女で、顔に天然痘にかかったあとがついていた。まだ四十一歳 だったが、原因のはっきりしない病気が彼女の姿態から活気を奪い去っていた。彼女は雑然とした建でかたの古ぼけたホテルの中を、色の褪せた壁紙やぼろになった敷物に眼をやりながら、ものうそうに歩きまわったり、立ち働くだけの元気のあるときはふとった地方まわりのセールスマンが寝よごし たベッドをととのえたりして、女中仕事もした 。

藤岡訳:
 母親のエリザベス・ウィラードは、痩せてひょろりと背が高く、顔には疱瘡の跡がのこっていた。まだ四十五だというのに、どこか悪いのか、すっかり生気が消えていた。雑然と、ものがちらばった老朽ホテルで、色あせた壁紙や擦り切れたカーペットを眼にしながら、気分がいいときは起き出して、メイドの代わりに、あこぎな デブのセールスマンたちが寝込んで泥だらけにしたベッドを整えていた。

text:
Her husband, Tom Willard, a slender, graceful man with square shoulders, a quick military step, and a black mustache trained to turn sharply up at the ends, tried to put the wife out of his mind. The presence of the tall ghostly figure, moving slowly through the halls, he took as a reproach to himself. When he thought of her he grew angry and swore. The hotel was unprofitable and forever on the edge of failure and he wished himself out of it. He thought of the old house and the woman who lived there with him as things defeated and done for.

解題:a slender, graceful man: gracefulを「優美な、上品な」とするとトムが「よせやい」と苦笑するかも。「感じのいい」だったら、以後の彼の言動が納得できます。

a quick military step: 「軍隊」が出てくると可笑しい。ここでは「軍人」ですね。平服で街を歩いている軍人、というのを子供のとき見かけていました。たしかにきびきびしていたな。

tried to put the wife out of his mind: 女房のことは念頭から追い出そうとした、つとめて考えまいとした、気にせずにいようとした。

he took as a reproach to himself. : 女房がいつも自分を咎めているような気がした、ホテルが女房のもので、自分は経営にまるで関係がない、話し上手ないい男ぶって街に出ていく男。

He thought of the old house and the woman who lived there with him as things defeated and done for. : defeatedとdone forは、敗北して、疲れ切って。defeatは「人の心が挫折する」、done forは「疲れ果てる」。ではこの二つの動詞を合わせて「朽ちはて疲れはて」かな。

小島・浜本訳:
夫のトム・ウィラードは、すらっと姿のよい男で、肩幅もあり、軍人ふうのきびきびした歩き方をし、黒い口髭はいつもはね上るようにくせをつけていた。自分の妻のことをつとめて頭から離そうとし自分が責められているような気がするのだった。妻のことを考えると腹が立ってきて、思わず乱暴な言葉が口をついて出る。旅館は経営不振のためいつ何時つぶれるかもしれない状態がつづいていて、彼は、逃げ出せるものなら逃げ出したかった。占ぼけた旅館と、そこに自分と住みついている女は、敗北し破滅したものの姿に思われた。

橋本訳:

彼女の良人のトム・ウィラードは、ピンと両側がはね上がるように癖をつけた口髭をたくわえ、軍人式なきびきびした歩き方をする、肩のいかった痩せがたの優美なからだつぎの男だったが、細君のことは頭の中から閉め出そうとしていた。廊下をのろのろと歩く背の高い幽霊のような姿を見させられると、自分が非難されているような気がするのだ。細君のことを想い浮べるたびにむかっ腹がたってきて、呪い声をあげたりした。ホテルも利益が上がらずしじゅう破産しそうな状態だったので、彼はホテルから逃げ出したかった。彼はこの古ぼけた家や、そこに自分と一緒に暮している女を、敗北し破滅してしまった存在のようにみなしていた。

藤岡訳:
 夫のトムは肩の張った、軍人のようなきびきびした足取の、すらりとした好男子で、黒々とした口髭をぴんと左右にはねるよう手入れしていた。女房のことなど、これっぱっちも気にかけずにいようとしていた。玄関ホールをのそのそと動く、ひょっとした幽霊のような姿をみて、自分を咎めてでもいるように思えた。彼女のこととなると、いつも腹立たしく、悪態をついていた。ホテルは儲からない、破たん寸前だ、自分だけでもここから抜け出したい、そう思っていた。古臭い建物も、自分とそこで寝起きしていた女も、朽ち果て、疲れ果てていた。

text:
The hotel in which he had begun life so hopefully was now a mere ghost of what a hotel should be. As he went spruce and business-like through the streets of Winesburg, he sometimes stopped and turned quickly about as though fearing that the spirit of the hotel and of the woman would follow him even into the streets. "Damn such a life, damn it!" he sputtered aimlessly.

解題:a mere ghost of what a hotel should be: 現在はただのホテル。ghostは迷わず「幽霊」ですが。

the spirit of the hotel and of the woman: このspiritはどうしよう。「霊、魂、霊魂、精霊」さらには「幽霊、生霊、亡霊、怨霊」まで考えられます。街の中でおぼろに姿が浮かんで見えるような気がする、のですから、日本語だったら「幽霊」かな。

小島・浜本訳:
かつては希望にみちて生活をはじめたこの旅館も、今にとなっては、本来あるべき旅館というもののただの亡霊だった。いかにも用事ありげに、颯爽とワインズバーグの通りを歩いていくときも、彼は時折足をとめてすばやくうしろを見る。まるで旅館の霊と妻の霊とが、通りまであとをつけてくるのを恐れてでもいるようなのだ。「ああ、ああ、いやな暮しだなあ!」
誰にともなく、吐きだすように彼はつぶやくのだった。

橋本訳:
彼がかつては大きな希望をかけてその中で暮し始めたこのホテルも、今や理想的なホテルの形体の幽霊にすぎなかった。こぎれいなきびきびとした様子をしてワイソズパーグの街々を歩いている時にも、彼は、ホテルと細君の霊が街の中まで自分にくっついてくるのではないかと怖れるかのように、時おり立ち止まって、すばやくうしろをふりかえった。「くそいまいましいこんな生活なんか、消えてなくなるがいい!」と彼は誰にともなく毒づいた。

藤岡訳:
夢多き人生の門出としたホテルだったが、いまではホテルであると思わせるだけの体たらくだった。ワインズバーグの街を、小ぎれいに身なりを整え、いかにもビジネスマンらしく歩くとき、彼はときどき立ち止まり、はっと振り向いた。ホテルと女房の幽霊が街中まで跡を追ってくるのではないかと怖れていた。「嫌んなるぜ、まったく!」、そういってなにとはなくペットつばを吐いた。

text:
Tom Willard had a passion for village politics and for years had been the leading Democrat in a strongly Republican community. Some day, he told himself, the tide of things political will turn in my favor and the years of ineffectual service count big in the bestowal of rewards. He dreamed of going to Congress and even of becoming governor.

解題:ineffectual service: 無駄な奉仕。「奉仕」は政治用語になるかな。大昔日本共産党が「惜しみなき大衆への奉仕」とかがなり立てていましたが、政治屋さんは票につながる「奉仕」という言葉が好きです。

小島・浜本訳:トム・ウィラードは、町の政治に熱をあげており、共和党色のつよい村のなかで、長年、民主党員の頭株だった。だがいつかは、と彼は自分に言いきかせた。政治状勢は有利になる、そうすれば、年来の無駄骨折がまさにさまざまな酬いとなって大きくものをいう日がきっとくる。彼は自分が議員に、あわよくば知事になる日を思い描いていた。

橋本訳:
トム・ウィラードは村の政治に情熱を抱いていて、もう何年も共和党の優勢な地方で民主党の有力者になっていた。いつかは政治情勢が自分に有利に転換し、長年の無駄な奉公が大きくものを言って、酬われる時が来るにちがいないと、彼は自分に言い聞かせた。彼は議会に出ることを夢み、州知事になることさえも夢みた。

藤岡訳:
 トム・ウィラードは村の政治や党派争いに情熱を燃やし、共和党が根強い地域での、指導的な民主党派として知られていた。やがては、と彼は信じていた、やがては政治の流れがおれの方に傾いてくるさ、こうして一向に成果の上がらない政治をやっていても、お返しがたんとついて戻ってくるさ、と言い聞かせていた。彼は国会で打って出て、いつかは州知事になるのを夢見ていた。

text:
Once when a younger member of the party arose at a political conference and began toboast of his faithful service, Tom Willard grew white with fury. "Shut up, you," he roared, glaring about. "What do you know of service? What are you but a boy? Look at what I've done here! I was a Democrat here in Winesburg when it was a crime to be a Democrat. In the old days they fairly hunted us with guns." 

解題:crime: 辞書では、「(法律上の具体的な)罪、犯罪(burglary 強盗、murder、homicide or manslaughter 殺人、larceny 窃盗、robbery 強盗、assault 暴行、forcible rape 強姦など)」とあります。他の対応語はないかと探したのですが「犯罪」しか適語はないですね。

they fairly hunted us with guns:ここも、辞書では(野獣・鳥などを)狩る、狩猟する;(猟犬を使って)遊猟する;(動物が)(獲物を)追う;〈地域を〉(獲物を追って)あさり回る,狩りをして回る、とにぎやかですが、民主党員を集団から追い払う、のけ者にする、差別する、わけで、ぼくは「狩り立てる」が気に入りました。gunは「鉄砲」ですね。「ピストル」はこんなときに使わない、鉄砲、それも散弾銃でしょう。

小島・浜本訳:
 たまたま党員集会の席上、若手党員の一人が立ちあがって、いかに自分が党のために尽くしてきたかを自慢そうに話しはじめたことがあった。そのとき、怒りのために顔面蒼白になったトム・ウィラードは、「黙れ、きさま」と、あたりをにらみながらどなった。「尽くすってことがどんなことか、お前なんかにわかってたまるか! 若僧のくせしやがって! この村でわしがやってきたことを考えてもみろ! わしはだな、民主党に入ることが罪人扱いされた時代から、このワインズバーグで、民主党員で通してきたんだ。ピストルをもった連中につけ狙われても、文句のいえないような昔からだぞ一

橋本訳:
或る時に若い党員が或る政治上の会議の席で立ち上がって、党への自分の忠実な奉仕ぶりを誇らしそうに語りだすと、トム・ウイラードは激怒のあまりにまっさおになった。「だまれ」と彼はどなりつけ、まわりの者たちをにらみまわした。「党につくしたなんて、口はばったいことが言えたぎりか? 君なんか小僧っ子じゃないか? おれがこの土地でしてきたことを見るがいい! おれは、民主党員であることが罪悪にように思われていた時代から、このワインズバーグで民主党員だったのだぞ。昔はおれたちは文字どおり鉄砲をもって追っかけられたんだぞ」

藤岡訳:あるとき政治集会でひとりの若手が立ち上がり、自分がいかに忠実に党に奉仕しているかと得意になって言い出したとき、トム・ウィラードは激怒して蒼白になった。「黙れ」といってあたりをねめつけた。「あんたには奉仕が分ってるのか? ほんの小僧っ子じゃないか。この地でおれがやってきたことを見てみろ! この土地で、ワインズバーグでだ、民主党員であるのが犯罪だったときにだ、おれは民主党員だった。昔は、奴らは本気で、鉄砲でおれたちを狩り立てたんだぞ」


スポンサーサイト
2015.08.20 Thu l 新刊・旧刊・和書・洋書 l コメント (0) トラックバック (0) l top
賢者の贈りもの、オー・ヘンリー 名作読み直し翻訳講座
 
O. Henry(本名William Sydney Porter, 1862年~1910年)の『賢者の贈りもの』は、高校時代に勉強したと思います。教科書に載っていたのかどうかはっきり覚えてはいないのですが、いずれにしても英語でオー・ヘンリーを読んだ覚えがあります。でも、改めて読んでみると、意外と難しい。きっとあのころ読んだのは学習用にリライトされたtextだったのでしょう。話が面白く印象的だったのでよく覚えているのですが、この作者の文体、語彙など特徴のある語り口については何の印象ももっていません。おかしなことです。100年前に亡くなっていて、その生涯は監獄と深酒に彩られまっとうではなかったのですが、400点近い短篇小説を残しています。やはり短篇小説を数多く残している作家でサキがいますが、ほぼ同年代と言っていい作家です。アメリカのジャーナリズムがいよいよ盛んになり、短篇小説を発表する場所が生まれてきたのです。

 もうだいぶ以前のことになりますが、筆者の主宰する鎌倉翻訳勉強会の「課題」にするため、改めて読んでみて、「これゃ困った、課題にしなければよかった」と、いつものことですが泣き言をいった覚えがあります。原書で5頁ほど、課題の分量として取り上げやすかったのですが、勉強会でとりあげたはいいが、いくつかの難解個所があって、七転八倒した覚えがあります。オー・ヘンリーを勉強するのなら、その時代に理解があるアメリカ人に疑問を解いてもらわなければ「課題解題」などできません。本章ではワシントンD.CにいるDennisさんに質問し、その答えを得て「解題」を進めました。ちなみにDennisさんは“History of Boy's Clothes”というwebsite主宰していて、世界中から専門家の投稿を求めて、子供の衣装の超大規模データベースを構築している教育者で、筆者と同世代の「先生」です。

 できるだけ「たっぷりと」オー・ヘンリーの小説を「読み解き訳す」ことにします。まず「text」を読んでください。そして、解題に移る前に、自分の力で翻訳してください。翻訳とは頭の中で済むものではありません。自分の文章で原稿用紙に、あるいはパソコンのプリンターに書き表さなければ翻訳したといえません。
原文は http://www.gutenberg.org/wiki/Main_Page で入手できます。訳した後、「藤岡訳」を相手に問答を仕掛け、何度か読み直し、改めて辞書を引き、ページレイアウトを縦組みにして、自分の翻訳を書籍に演出して味わってみてください。

THE GIFT OF THE MAGI BY O. HENRY

text::

ONE dollar and eighty-seven cents. That was all. And sixty cents of it was in pennies. Pennies saved one and two at a time by bulldozing the grocer and the vegetable man and the butcher until one’s cheeks burned with the silent imputation of parsimony that such close dealing implied. Three times Della counted it. One dollar and eighty-seven cents. And the next day would be Christmas.

先行訳を挑戦課題として

解題:

 オー・ヘンリーを「です、ます調」で訳すのも面白いかもしれません。何しろ今から百年前、コナン・ドイルやD.Hロレンス、マンスフィールドが生きていた時代の(世界大戦以前の)作家の作品です。素直に訳すよりも少しいたずらしたいな、そんな気持ちになりますね。オー・ヘンリーの場合、三百作近くの短篇小説を書いているので、そのうちの何割かは「です、ます調」で訳した方が面白いものがあると思います。

the grocer and the vegetable man and the butcher: andで三つの言葉をつないでいます。A, B and Cと並べるのが普通なのに、これはオー・ヘンリーの気取りというか、語法なのでしょう。後段にも出てきます。the vegetable manは「野菜売り」ですね。huckster(辻売り)。八百屋とするとgreengrocerがあります。この文章でbulldozeという言葉を使っています。十九世紀末に使われるようになったアメリカ語で、「暴力で強制する」という意味で、新聞記者が使ったとあります(OED)。建設機械のbulldozerはそれからずっと後の言葉ですね。

注記:OEDはOxford English Dictionaryの略語。書籍版では本巻だけで大部の12巻ですが、幸いにもCD-ROM版になっています。辞書は山ほどあっても、このOEDに匹敵する英語辞書はありません。日本語は小学館の『日本国語大辞典』です。

until one’s cheeks burned with the silent imputation of parsimony that such close dealing implied:頭から文節で追うと、「人の頬が燃えるまで、無言の非難で、倹約という(非難で)、その倹約は、あまりにもけちけちした取引が含むところの(倹約)」で、これをどう日本語にするかが問われます。
 小説ですから、英文解釈的に頑張っても仕方がありません。といって、あまり解釈を加えても「説明的」になって、小説らしい発想から離れてしまいます。もし文章の勢いを維持できるなら、「藤岡訳」のように翻ってもいいと思います。imputation (非難、嘲り)やparsimony(極度の倹約)といった名詞をそのまま日本語の名詞(漢語)に置き換えるのは難しいので、ここは翻訳者の苦心のしどころです。(日本語の抽象名詞の翻訳問題については後述します。)

 冒頭の書きっぷりから、ポキポキと体言止めを交えてリズミカルに訳していこう、と皆さん考えたと思います。そうなると、素直に言葉を拾っていく翻訳ではなく、比較的自由な発想で「置き換え」「裏を訳す」などの翻訳技法を使えますね。以下に「解題」と「藤岡訳」を添えます。「藤岡訳」は『オー・ヘンリー傑作選』(大津栄一郎訳、岩波文庫)と、さらに鎌倉翻訳勉強会での議論、不明の点はワシントンD.C.におられるDennisさんにアドバイスをもらって訳しました。
先行訳があると、影響を受けるから読まないようにしておいて、訳し終えてから読んでみる、という考えがありますが、逆に先行訳を「挑戦課題」として参考にしながら訳していく姿勢もあっていいですね。これも勉強法の一つです。

藤岡訳:

 一ドルと八十七セント。これっきりだ。しかもそのうちの六十セントは銅貨だった。食品雑貨店や野菜売りや肉屋を相手にしては、一セント、二セントと、頬から火が出る思いで値切り倒して溜めたものだ。相手は黙っていたけど、そこまでしみったれているのかい、そういう声が聞こえてくるようだった。三回、デラは数えてみた。一ドルと八十七セントだ。一夜明ければクリスマスだというのに。

■「泣く」の一語に泣く

text::


There was clearly nothing to do but flop down on the shabby little couch and howl. So Della did it. Which instigates the moral reflection that life is made up of sobs, sniffles, and smiles, with sniffles predominating.

解題:
 ここで困ったのではsobとsniffleとsmileですね。激しく泣いて、それからすすり泣きになり、最後はほほ笑む、ということを言っているのでしょうが、英和辞書では言葉のニュアンスがはっきりしません、英々(CED)を見ると、
sobでは1. to weep with convulsive gasps. 2. to utter with sobs.
sniffleはto breathe audibly through the nose, as when the nasal passages are congested. とあります。後者はワアワア声を上げて泣くのでなく、ハリウッド映画で女優さんがよくなっているように、ハンカチで音を立てて洟(はな)をかむところでしょう。日本の習慣にはない泣き方、仕草ですね。こうした言葉の違いを上手に表現するのはひどく厄介なことですが、それが翻訳者の腕の見せ所ですな。

注記:CEDはCollins English Dictionaryの略語。世界中で英語の辞書といえばOEDであり、そのコンサイス版のCOD(Concise Oxford Dictionary)だったのですが、1979年にコンピュータを援用してCEDが出版されました。眠っていた(改訂を怠っていた)CODを覚醒させた辞書といわれています。この流れでCobuild English Dictionaryが生まれています。(1987年)

the moral reflection:「教訓的な省察(教訓)」がそのままの訳語でしょうが、これを生かすのも難しいですね。「教訓」を生かしたのだが、それほどの大事をいっているのではないだろう、いいたいのは「たいていはこの世の中、いつもグシュングシュンと洟をならせている」なので、翻訳では「教訓」に拘(こだわ)らなくてもいいですね。ところで次のtextにあるfrom the first stage to the second、これも生かして訳しておきたい、そう思うと、このパラグラフ、すごく難しいですね。
なお「藤岡訳」ではshabby little couchの形容詞を入れ替えて訳していますが、大小を先に書く方が日本語では自然ですね。

藤岡訳:
 こうなるともう泣くしかない。小さなおんぼろソファーにぱったり座りこんで、デラはおいおいと泣き出した。泣きじゃくり、洟をすすり、それとほほ笑む、人生なんてこんなもんだといわれているが、それいったって、すすり泣きがほとんどだ。

■張り紙は「魔よけのお守りだった」

text::

While the mistress of the home is gradually subsiding from the first stage to the second, take a look at the home. A furnished flat at $8 per week. It did not exactly beggar description, but it certainly had that word on the lookout for the mendicancy squad.
In the vestibule below was a letter-box into which no letter would go, and an electric button from which no mortal finger could coax a ring. Also appertaining thereunto was a card bearing the name “Mr. James Dillingham Young.”

解題:

It did not exactly beggar description:英和をみると動詞beggarの成句で「筆舌につくし難い」があるので、「筆舌につくし難いというほどではないが」となります。
it certainly had that word on the lookout for the mendicancy squad:それは(flat)たしかにその言葉(張り紙=A furnished flat at $8 per week)を持っていた、乞食の一隊を警戒して。前置詞のforは「関連」の語義で「~に対して、備えて」です。
とこう考えたのですが、the mendicancy squadがおかしい。何しろ既訳では「浮浪者狩りの警察隊」とされているので、なるほどsquadは英和辞典にあるsquad carなどの「警察隊」なのかと考えます。でもここで乞食狩りはどうかな、このおんぼろアパートに乞食が巣を食っていやしないかと、警邏中のお巡りさんが飛び込んでくる――そうとも取れるけど、もっと単純に、このアパートは週に八ドル払う人が住むところで、家賃も払えない乞食はお断りですよ、といっていると考えるのが自然ではないか。「筆舌につくし難いというほどではないが」、乞食が巣を食っていてもおかしくないほどひどく朽ち果てたアパート、というひどい建物のついての作者の説明かも。そこで我らがDennis先生に訊ねました。

squad:The primary definition of squad is the smallest military unit. It can also be used for a squad of police (a military-like organization). Another usage of squad is any kind of small group of people organized for a common purpose. In this case it is used with a bit of hyperbole――mendicancy squad. That just means a "bunch of beggars".(squadの第1語義は軍のもっとも小さい単位です。この意味で、軍隊と同じような組織の警察で、警官隊、とも使います。squadの別の語法で、何か共通の目的をもって組織された人々の小グループにも用いられます。この場合は、たとえばmendicancy squad(乞食の一団)のように、少々大げさに誇張した表現になります。これは、a bunch of beggars(乞食たちの一団)を意味します。

 答えは明白でした。シャレですね。「乞食が群れをなしてやってこないよう、おまじないのような掲示」と理解していいですね。素直にこのアパートの家賃は週八ドルです、と書かないところがニューヨークの下町のシャレなのかもしれません。
a letter-box into which no letter would go:手紙を投げ込もうにも、なかなかいうことをきかない郵便受け。
 やはりDennis先生に念を入れました。

a letter-box into which no letter would go:The author is being a bit poetic here. All letter boxes have openings. It is hard to explain this without knowing the full context. This means that vestibule has a drawer of some kind for letters, but none were going to be put there. Or it could mean that the vestibule was old and not working well.(著者はここでちょっぴり詩的になっています。どの郵便受けにも郵便を出し入れする窓があります。文脈をよく読まなければ状況を説明するのが難しいのですが、このアパートの入口に、郵便物などを入れる引き出しのようなものがあるけど、何もここに入れて置くようなものはない、郵便物が来るような住人なんていやしない、という意味です。あるいは、この引き出しが古くなりもう使えなくなっているから、郵便配達夫が階段を上って届けているのかも知れません。

 もう一つ問題があります。cardです。「名札、ボール紙、表札、名刺」といろいろ考えられます。こういうところは映画でも見るようにこの現場をありありと思い出せる人に聞くべきですね。(敗戦直後の東京の安アパートなら、小津安二郎の映画で見れます。)

a card:This would not be cardboard. More likely to be a "calling card". People at the times had calling cards similar to modern day business cards--but for personal use.(厚紙ではないですね。いちばん近いのが「名刺」です。この時代、今日でいう「業務用名刺」と同じような「名刺」を使っていました。もちろん、これは個人用で、会社の業務に関係ないものです。)

ところで幸か不幸か「乞食」は差別語ではないようです。でも死語ではあります。だいたいパソコンの仮名漢字変換で素直に出てくる言葉はOKのようです。「きちがい」「めくら」「つんぼ」「びっこ」は駄目。訳文の末尾は、つぎのパラグラフに現れる頭字Dに関係するので補いました。

藤岡訳:

 こうしてこのアパートの主婦が初めの泣きじゃくりから洟をぐしゅんぐしゅんとやる第二段階にだんだんと移っている間に、部屋の様子をみておこう。家具つきフラット週八ドル。このアパートをなんと書いたらよいのやら。乞食が群れてこないよう張り紙を出していて、一応家賃をもらっていますよ、とでもいっているところ、としたらどうだろう。
 階下の入口ホールには郵便受けがついているが、手紙などにっちもさっちも入りそうにない。電気仕掛けの押しボタンがついているが、人の指先ではどうにもこうにもへこんでくれない。同じところに名刺が貼ってある。『ミスター・ジェームズ・ジリンハム・ヤング』とミドルネームまで麗々しく書かれている。

■そよ風に踊っていた?

text::

The “Dillingham” had been flung to the breeze during a former period of prosperity when its possessor was being paid $30 per week. Now, when the income was shrunk to $20, though, they were thinking seriously of contracting to a modest and unassuming D. But whenever Mr. James Dillingham Young came home and reached his flat above he was called “Jim” and greatly hugged by Mrs. James Dillingham Young, already introduced to you as Della. Which is all very good.

解題:


 ここも難しい。had been flung to the breezeが分からない。既訳では「そよ風に踊っていた」となっていますが、表札代わりのカードが風にそよいででもいるのかな。flungが曲者で困りました。辞書に「fling ~ to the wind、風に飛ばす、あっさり捨ててしまう」とありますが、またまたDennis先生です。

fling to the breeze:This means that the person had decided not to use his middle name (Dillingham), but now that his income was lower had decided to use the initial "D". This would make him sound a little more successful / prosperous than just using James Young. In America today people usually just use their middle initial. Spelling out a person's middle name would be considered somewhat pretentious.(つぎのような意味です。主人公が、自分のミドルネーム(ジリンハム)は使うまいと決心したのですが、収入が少なくなった今こそ、頭文字のDを使おうと決心したのです。ミドルネームなしに単にジェームズ・ヤングとするよりも、いくらか「成功者・金持ち」らしく、聞こえがいいのではないか。アメリカでは一般的にミドル・ネームを使っています。自分のミドル・ネームを綴ると、なんだか見栄を張って大物になった気がするのですね。)

藤岡訳:

 景気のいいときには真ん中の「ジリンハム」が、ミドルネームもご覧くださいと得意気に浮き出ていた。週給三十ドルのご主人様だ。それが今じゃ二十ドルに縮んでしまった。つつましく遠慮がちにDの文字だけに縮こまってしまいたい、本気でそう思っているように見える。とはいっても、ミスター・ジェームズ・ジリンハム・ヤングが家路について上の階のフラットに帰ってくれば、「ジム」といって抱きしめてくれる人がいる。ご存知のデラ夫人、ミセス・ジェームズ・ジリンハム・ヤングだ。なにはともあれ、結構なことだ。

text::

Della finished her cry and attended to her cheeks with the powder rag. She stood by the window and looked out dully at a gray cat walking a gray fence in a gray backyard. Tomorrow would be Christmas Day, and she had only $1.87 with which to buy Jim a present. She had been saving every penny she could for months, with this result. Twenty dollars a week doesn’t go far. Expenses had been greater than she had calculated. They always are. Only $1.87 to buy a present for Jim. Her Jim. Many a happy hour she had spent planning for something nice for him. Something fine and rare and sterling—something just a little bit near to being worthy of the honor of being owned by Jim.

藤岡訳:

 デラは泣き止んで、パフで頬をぱたぱたやった。窓際に立って、灰色の裏庭で、灰色の猫が、灰色の塀の上を歩いているのを見た。明日はクリスマスだというのに、ジムにプレゼントするにも、たったの一ドル八十七セントしかない。ここ何か月もかけて一セントも無駄にせず溜めたのに、この結果だった。週に二十ドルではやりくりできない。どうしても、思ったよりも出ていく方が大きい。いつもそうだ。たったの一ドル八十七でジムにプレゼントを買うなんて。大事なジム、そのジムに素敵なプレゼントをする。あれこれ考えてはずいぶんと幸せな時間を過ごしていたのだが。素敵で、珍しくて、一級品の何か――ほんの少しでも、ジムにもってもらえる名誉にふさわしいもの。

■英和辞書の創作? 窓間鏡

text::

There was a pier glass between the windows of the room. Perhaps you have seen a pier glass in an $8 flat. A very thin and very agile person may, by observing his reflection in a rapid sequence of longitudinal strips, obtain a fairly accurate conception of his looks. Della, being slender, had mastered the art.
Suddenly she whirled from the window and stood before the glass. Her eyes were shining brilliantly, but her face had lost its color within twenty seconds. Rapidly she pulled down her hair and let it fall to its full length.

解題:

a pier glassは辞書をみると「窓間鏡」ですが、これはどうも英和辞書の創作で、CEDをみると、
pier glass:a tall narrow mirror, usually one of a pair or set, designed to hang on the wall between windows, usually above a pier table.
とあります。窓が二つあって、その間の壁に小さな細長い鏡(pier glass)があって、その前に小さなテーブル(pier table)がおいてある、という情景ですね。日本の「障子」「猫間障子」や「襖(ふすま)」「炬燵」「火鉢」を英語に置き変えることができないのと同様に、無理して「窓間鏡」としなくても、と思うのですが、だれの思いつきかしりませんが、うまい日本語をつくったものです。
 翻訳では本来は片仮名で「ピア・グラス」とするところですね。でもこれは定着していない。困った、というところですが、うまい具合に原文で「部屋の窓々の間に」と説明してくれているので「窓間鏡」でいいかな、と考えました。
Perhaps you have seen……:「おそらく知っているでしょう」、ですが、これを「見当がつかないかもしれないが」としても構わないところですね。ここでは後者の方が正しいと思います。

A very thin and very agile person:オー・ヘンリーは同じ言葉を重ねるのが好きですね。よほどの場合以外は、訳文でも重ねて、文章のリズムを生かしたいものです。
Suddenly she whirled from the window and stood before the glass:このwhirlですが「急に向きを変える」。窓から急に向きを変える、ではおかしいなと皆さんいろいろと工夫しています。このパラグラフでいちばんの難所だったかもしれません。「藤岡訳」では「窓から身をひるがえすと」と最小限の補いで逃げましたが……。
Her eyes were shining brilliantly, but her face had lost its color within twenty seconds.:「彼女の眼はきらきら輝いていた、しかし、二十秒以内に彼女の顔はすでにその色を失っていた」。なんで過去完了なんだよ、とオー・ヘンリーに文句をつけたくなります。Nさんの訳は「二十秒ほど前から、顔は蒼ざめていました」と蒼ざめた時点がはっきりわかるように訳しています。

 オー・ヘンリーの癖なのでしょうか、それとも、懐中時計が一般に普及してきた時代だからなのでしょうか、作品の冒頭から「非文学的な」デジタルな表現が多いですね。ここの「二十秒」も「たっぷり」程度の意味かもしれませんが、数字が多用されています。「その目はきらきらと輝いていたが、二十秒もすると、顔(頬)は血の気を失っていった」と訳せばいいのかな。
Rapidly she pulled down her hair and let it fall to its full length:このto its full lengthはよく使われる表現ですね。「いっぱいの長さに」ですがそのままでは日本語になりません。「せいいっぱい」「思い切って」など副詞で工夫します。

藤岡訳:

 部屋の窓と窓の間に窓間鏡がついていた。もしかしたら週八ドルの安アパートにある窓間鏡をご存知ないかもしれないが、すごく細身で、すごく身のこなしが早い人なら、この長手に伸びた鏡に写る自分の姿の断片をつなぎ合わせて、どんな様子になっているか、かなりはっきり読みとれるかもしれない。デラはほっそりしているので、この芸当が得意だった。
 いきなり、彼女は窓から身をひるがえすと、さっと鏡の前に立った。その目はきらきらと輝いていたが、だがそれもつかの間、二十秒もすると頬は血の気を失っていった。デラはさっと髪の毛をほぐし、思いっきり落としてみた。

text::

Now, there were two possessions of the James Dillingham Youngs in which they both took a mighty pride. One was Jim’s gold watch that had been his father’s and his grandfather’s. The other was Della’s hair. Had the queen of Sheba lived in the flat across the airshaft, Della would have let her hair hang out the window some day to dry just to depreciate Her Majesty’s jewels and gifts. Had King Solomon been the janitor, with all his treasures piled up in the basement, Jim would have pulled out his watch every time he passed, just to see him pluck at his beard from envy.

解題:

two possessions:二つの所有物、ですが嫌ですね。思い切って「宝物」としましたがどうでしょう。
his father’s and his grandfather’s:祖父から父へと伝えられた、でよいのですが、あえて、「父親から、そのまた父親から伝えられた」とするのも面白いですね。father's、his grandfather's、Jim's、Della's、Her Majesty's と省略符号sを連発しているのも作者の文体ですね。まるで学生の英作文のようです。この妙な味を生かせたらいいのですが。

藤岡訳:

 ところで、ジェームズ・ジリンハム・ヤング家には、この夫妻がとても自慢に思っている宝物が二つあった。ひとつはジムの金時計で、父親から、そのまた父親から伝えられたもの。もう一つはデラの髪の毛だった。もしもあの宝飾品で栄えたシバの女王がダクトを挟んだ向かいの部屋に住んでいるとしたら、デラに、いつでもいい長い髪を窓から落として乾かしてごらん、といってみたいもの。きっと女王様の宝飾品も貢ぎ物も値打ちがなくなってしまうだろう。賢王ソロモンが、そんなことはないだろうが、地下に積み上げたご自分の宝物を見張っている番人だったら、ジムはその前を歩くたびに時計をとりだし、それを王様が見て悔しがっては、あごひげをむしっていたことだろう。

text::

So now Della’s beautiful hair fell about her rippling and shining like a cascade of brown waters. It reached below her knee and made itself almost a garment for her. And then she did it up again nervously and quickly. Once she faltered for a minute and stood still while a tear or two splashed on the worn red carpet.

解題:

 困ったのはgarment。「ガウンを羽織った」で問題はないのですが、garmentはイコールgownではないし、どうしてgarmentにしたのだろう。「衣服」としたらどういう日本語になるかやってみたのが「藤岡訳」です。いろいろ考えずに「ガウン」のままで構いませんね。

藤岡訳:

 みると、デラの美しい髪の毛は茶色い滝となって波打ち、段をつくって輝いて身体にまつわっていた。膝元までとどいて、まるで衣服を身につけたように見えた。ややあって、彼女はそれを大事そうに、手早くもとに戻した。一瞬ためらって、たたずんだ。涙がすりきれた赤いカーペットに一つ二つと飛び散った。

■スカートをパタパタとはためかせて……

text::

On went her old brown jacket; on went her old brown hat. With a whirl of skirts and with the brilliant sparkle still in her eyes, she fluttered out the door and down the stairs to the street.
Where she stopped the sign read: “Mme. Sofronie. Hair Goods of All Kinds.” One flight up Della ran, and collected herself, panting. Madame, large, too white, chilly, hardly looked the “Sofronie.”
“Will you buy my hair?” asked Della.
“I buy hair,” said Madame. “Take yer hat off and let’s have a sight at the looks of it.”
Down rippled the brown cascade.
“Twenty dollars,” said Madame, lifting the mass with a practised hand.
“Give it to me quick,” said Della.

解題:

she fluttered out the door:「(スカートを翻して)ドアの外に羽ばたきした」。と読みました。大げさにいえば、スカートをパタパタとはためかせて、ドアの外に羽ばたきしながら飛び出した、でしょうね。このニュアンスは伝えにくいですね。オー・ヘンリー独特の動詞使いだと思って、なにか工夫したいところ。
 SofronieはSophronia(ソフロニア)の変形。「英知、知恵、聡明」ですね。翻訳では少し補って訳します。
 このマダムとデラの会話ですが、一方はユダヤ人かな、訛っています。これを訳文に無理に生かしてぞんざいにすると、商売人の言葉ではなくなりますね。ほどほどに。
Hair Goods of All Kinds:ヘア用品各種

藤岡訳:

 彼女はいつもの茶のジャケットを着て、いつもの茶のハットをかぶった。スカートをはためかしてドアの外に躍り出て、階段を降り、通りに出ていった。眼にはまだきらきらと輝くものが残っていた。
 『マダム・ソフロニイ ヘア用品各種』という看板で立ち止まり、一息に階段を駆け上り、気を鎮めた。まだどきどきしていた。マダムは大柄で色白、冷淡で英知を示す「ソフロニイ」というには、ほど遠い顔をしていた。
「私の髪の毛買ってもらえるかしら?」デラがきいた。
「買いますよ」マダムがいった。「ほどいて、どんなもんか見せてくださいな」
 茶色の滝が波打った。
「二十五ドルですね」慣れた手つきで髪の毛をすくい上げながら、マダムがいった。
「じゃ、早くしてちょうだい」デラがいった。

■A and B、AだがBでもある

text::

Oh, and the next two hours tripped by on rosy wings. Forget the hashed metaphor. She was ransacking the stores for Jim’s present.
She found it at last. It surely had been made for Jim and no one else. There was no other like it in any of the stores, and she had turned all of them inside out. It was a platinum fob chain simple and chaste in design, properly proclaiming its value by substance alone and not by meretricious ornamentation—as all good things should do. It was even worthy of The Watch. As soon as she saw it she knew that it must be Jim’s. It was like him. Quietness and value――the description applied to both. Twenty-one dollars they took from her for it, and she hurried home with the 87 cents. With that chain on his watch Jim might be properly anxious about the time in any company. Grand as the watch was, he sometimes looked at it on the sly on account of the old leather strap that he used in place of a chain.

解題:

Oh, and the next two hours tripped by on rosy wings. Forget the hashed metaphor.:この文章、皆さん楽しんだようですね。Iさんが「それからの二時間というもの、デラはまるでばら色の翼に乗ったように――いや、こういう陳腐な表現はやめておこう――とにかく、浮き浮きしながら……」と訳していますが、全部を言い切らないで記号――を使って訳しています。うまいですね。
a platinum fob chain:先の建築用語のpier glassではないですが、こうした服飾用語も困りものです。「プラチナの鎖、チョッキの隠しに納める」と考えて訳すしかありませんね。
quietness and value—the description applied to both.:Mさんが「地味だけれど値打ちがある。それはジムにもこの鎖にも同じように当てはまる言葉だった」と訳していますが、これもうまい。quietnessで時計という物とジムという人にかけているので「地味」が最適ですね。「沈黙、寡黙、落ち着き」としてもいいと思いますが、相手が「物と人」なので困ります。このquietness and valueは格言で「落ち着きにこそ価値あり」とかなんとかそれらしい語法があるかと思って探したのですが、とくにないようです。A and Bとあるとき、AだがBでもある、とできますね。He is a novelist and poet.で、「彼は小説家と詩人である」とはしませんね。
Grand as the watch was, he sometimes looked at it on the sly on account of the old leather strap that he used in place of a chain.:話が時計だから、grandは「立派な」という発想が自然ですが、わざと「堂々としている」としてもいいかな。文節区切りで追いかけると、

――時計は堂々としているのに、彼はときどき時計をみて時間を調べていたが、こそこそと、鎖の代わりに使っていた、古い皮ひものお陰で。

 つまり、時計にお似合いの鎖がなかったので、恥ずかしくて人前では懐中時計を見せなかった、隠れるようにこそこそして見ていた。となります。
 「ときどき恥ずかしくそれを見ていた」と「恥ずかしくてなかなかそれを見なかった」。肯定文と否定文ですが、内容はほぼ同じことをいっていますね。翻訳では英語の肯定文を否定文に、あるいはその逆に訳すと、自然な日本語の発想になることがあります。

■心愉しい買い物行


藤岡訳:

 ああ、店を出てからの二時間というもの、まるでばら色の翼に乗って旅する心地――いやこんな陳腐な譬えは無用だ。彼女はジムへのプレゼント探しで店から店へと歩き回っていたのだった。
 とうとう見つけた。ジムのために、他のだれでもない、どうみたって、ジムのために作られたものだった。いろんな店をのぞいて探していたが、どこにもなかった。懐中時計につけるプラチナの鎖で、チョッキの隠しにおさめるもので、シンプルで控えめなデザインだった。けばけばしい飾りがまるでない――すべからく、良いものはかくあるべし、という実質本位だった。あの時計にぴたりの値打ちではないか。一目みて、彼女はジムの時計につけなければ、と思った。まるで彼のようじゃないか。地味でいて価値がある――ジムも時計もこの表現にぴったりだ。二十一ドルが店の人に渡り、彼女はプラチナの鎖と八十七セントをもって家に急いだ。ジムの時計にこれをつければ、彼はもう人前で気兼ねなく懐中時計をとりだして時間を気にすることができるというもの。時計が堂々としていたのに、鎖の代わりに使い古しの皮紐をつけていたおかげで、ジムはこっそりと時計をとりだしていたじゃないか。

 これまでの課題に戻りますが、Oh, and the next two hours tripped by on rosy wings.という文章がありました。ここにあるtripをCEDでみると、an outward and return journey, often for a specific purpose.とあって、日本語の対応語では「旅行、(特に)短い旅, 小旅行, 出張(旅行), 行楽, 遠足」が考えられます。訳では「それからは、ばら色の翼にのって旅するような二時間」となりますが、最近になって復刻された最所フミ『英語類義語活用辞典』(ちくま学芸文庫、2003年、1200円)のjourney/trip/tour/travelの項をみると、tripには米語で、楽しい経験の意にも使う、とありました。Collins語義のoften for a specific purposeが曲者で、「心愉しい買い物行」なのですね。思わぬ収穫でした。 

text:

When Della reached home her intoxication gave way a little to prudence and reason. She got out her curling irons and lighted the gas and went to work repairing the ravages made by generosity added to love. Which is always a tremendous task, dear friends—a mammoth task.
Within forty minutes her head was covered with tiny, close-lying curls that made her look wonderfully like a truant schoolboy. She looked at her reflection in the mirror long, carefully, and critically.

解題:

her intoxication gave way a little to prudence and reason.:彼女の興奮は、思慮分別と理性に道を譲った――抽象名詞でこうした発想をするのが英語の発想ですね。この文脈で訳していてはまさに「市販に耐えられない」翻訳になってしまいます。

藤岡訳:

デラは家に帰ると、興奮もさめていくらか思慮分別が戻り、理性を取り戻していた。髪をカールする鏝をとりだし、ガスに火をつけ、おそろしい惨状を取り繕うとした。惨状といっても、そもそもは惜しみなき愛にささげたものなのだ。これはだれにとっても容易にできることではないだろう、読者諸君、まさに想像を絶する巨大な力がなければならない。四十分ほどかかけて髪の毛をカールしたが、まるでずる休みして街で遊んでいる子供のように、短い毛を手落ちなく巻き上げていた。鏡に映る姿を長いこと、カールもれがないかどうか点検した。

ところで、この抽象名詞構文を翻訳者はどのように理解すればいいのでしょう?

■ヤマトコトバにない抽象名詞

2008年の七月、日本語、日本古典文学の研究者であられた大野晋(すすむ)先生が亡くなられました。どのような仕事を残していかれたか、ぼくたちの蒙を啓くために書かれた文庫、新書版だけでも十点を越えていて、これらは日本語の起源、文法について学ぶきっかけになったし、『岩波古語辞典』は今でも書架の正面に、小柄な書物でありながら、でんと据わって盲を導いてくれています。何年か以前のことですが、NHKの朝のラジオ番組で聴いた本居宣長の離婚・再婚話は先生のお人柄も偲ばれ、また、「学問とはこういうものだよ」と教えていただくことでもありました。
その大野先生が『日本人の思考と日本語』という小論(宣長の話は『語学と文学の間』、岩波現代文庫、『日本語について』、同時代ライブラリー、の両書に収められています)のなかで、日本人は情緒的、感性的で、日本語には抽象名詞が少なく、擬態語・擬音語の多用がある、と言われています。そしてこれは中村元博士の説によると、

彼老ゆ          彼は老性におもむく
果実が柔らかくになる   果実が柔軟性におもむく
かれは使者として行く   かれは使者性によって行く  
ある男が樹と思われた   ある男が樹木性によって表象された

 大野先生の解説では、たとえば「忠」「孝」をヤマトコトバで読むと(『日本書紀』の古訓)、
忠      アカクマメナルココロ
孝      オヤニシタガウ
 さらにヤマトコトバでは「漢字として抽象名詞の意味を持つと思われるものについても、多く動詞、形容詞としての訓が与えられていて、名詞としての訓は極めて少ない」とあります。
 その例として、
     恵  メグム、アタウ、ウツクシブ……
     悪  アシ、ナンゾ、カタチミニクシ、ニクム、ミヌクシ……
があげられています。「オヤッ、これは品詞変換じゃないか」と思われるでしょう。どこの翻訳教室でも、最近は「流暢に、自然に訳せ」といって指導していますが、日本人は日本人、翻訳が「特殊な日本語」であってはならないという教えです。最近の英和辞書では、対応語や例文の日本語にできるだけ自然な日本語を使うよう工夫していますが、辞書の利用者が英語初学者であるからでなく、「躊躇する」の漢語を避け、「ためらう、ぐずぐずする」とした方が日本語として日常的な、自然な発想から生まれる言葉だからです。翻訳者は文章語では「躊躇する」を使うかもしれませんが、会話の文ではほとんど使わないでしょう。

注記:『インド人の思惟方法』(春秋社)に収められています。中村元(はじめ)先生は華厳経、法華経などの仏典をすべて現代語に翻訳されています。専門書から一般教養書まで数多くの著書があります。大野晋、中村元、翻訳者は先生たちの著書を10冊は読んでおかなければ。でも、いくらか理解できるようになるには10年はかかりますね。

 わたしたちは平安の大昔に漢字・漢文に接し、訓読みという宙返りを開発していつのまにか漢文を翻訳してきました(中国語として読むことをしないで)。近代に入り、訓読みのクセの多い日本語(和漢混交文、擬古文もあれば言文一致文もありますね)を使って欧米の言葉を翻訳してきたのですが、近頃になって、やっと「大和言葉を使おうよ」という機運になってきました。漢文の素養がないから必然的にこうなったというのではなく、現代文が話し言葉でも書き言葉でも自然だからなのでしょう。和魂洋才とかいって気張ってきたのが、どうやら自国の言葉、文化に自信がもてるようになってきたのでしょうね、何か、二千年来ずっと民族の頭にのしかかっていた重石(おもし)が取り除かれたような気がします。でも、気が軽くなったのと「よい翻訳をする」とは別の問題ですね。それを思うと、気が軽くなるどころか、滅入ってきますね。

text::

“If Jim doesn’t kill me,” she said to herself, “before he takes a second look at me, he’ll say I look like a Coney Island chorus girl. But what could I do—oh! what could I do with a dollar and eighty-seven cents?”
At 7 o’clock the coffee was made and the frying-pan was on the back of the stove hot and ready to cook the chops.

解題:

a Coney Island chorus girl.:遊園地の「コニーアイランド」と辞書にも出ています。でも、ここは注記があった方がいい、「New York 港口の Long Island にある保養地・遊園地のアトラクションガールの一員」かな。でも、注記を入れるよりも「遊園地のコーラスガール」とした方がいいでしょう。
chops:チョップ、厚切りの肉片。ここも、単に「チョップ」でいいでしょう。

藤岡訳:

「ジムがこんな女は嫌だといってとしても、見直して、遊園地のコーラスガールのようだよ、と言ってくれるかも知れない。これしかできなかったのよ、一ドル八十七セントで何ができるっていうの?」デルは自分にこう言い聞かせた。
 七時にコーヒーを作り、フライパンをストーブの上にのせ、チョップがさめないようにした。

text::


Jim was never late. Della doubled the fob chain in her hand and sat on the corner of the table near the door that he always entered. Then she heard his step on the stair away down on the first flight, and she turned white for just a moment. She had a habit of saying a little silent prayer about the simplest everyday things, and now she whispered: “Please God, make him think I am still pretty.”

解題:

Della doubled the fob chain in her hand and sat on the corner of the table near the door that he always entered.:デラは時計の鎖を手の中で二つに折って、彼がいつも入ってくるドアの近くのテーブルの隅に坐った――こう訳すと、読者はほれほれ翻訳調で歌いだしたぞ、とあなたの訳本を投げ出します。

藤岡訳:

 ジムはこれまで帰りが遅くなったことはなかった。デラは鎖を二つ折りにして握りしめ、テーブルの隅に坐った。いつもジムが帰ってくるドアの近くだ。しばらくして、下の方から、一階の階段を上がってくる足音が聞こえてきた。一瞬、デラは顔色を変えた。日常の些細なことであっても、なにかというとデラは口の中でお祈りをするくせがあったが、このときは口にして祈った。「ああ神様、あの人がわたしのこと、きれいだ、と思ってくれますように」

■なぜかフィッツジェラルドが……

text::

The door opened and Jim stepped in and closed it. He looked thin and very serious. Poor fellow, he was only twenty-two—and to be burdened with a family! He needed a new overcoat and he was without gloves.
Jim stopped inside the door, as immovable as a setter at the scent of quail. His eyes were fixed upon Della, and there was an expression in them that she could not read, and it terrified her. It was not anger, nor surprise, nor disapproval, nor horror, nor any of the sentiments that she had been prepared for. He simply stared at her fixedly with that peculiar expression on his face.

解題:

Poor fellow, he was only twenty-two:ニューヨークで看板広告のコピーを書いていたF・スコット・フィッツジェラルドが、寒い冬の最中、靴を買う金もなくすり減った靴底にボール紙を差し入れて歩いていたという話があります。彼は1921年に『頭と肩」で400ドル稼ぎ、恋人のゼルダにプラチナの時計を贈っていますが、オー・ヘンリーの話を読んでいると、時代が近いせいか、この若きフィッツジェラルドのことが思われます。そういえば、彼が自分の名前をF. Scott Fitzgeraldとしていたのもジムと同じ時代の感覚だったのですね。

藤岡訳:

 ドアが開き、ジムが中に入り閉めた。彼はやせていて、とても真面目な顔つきの青年だった。かわいそうに、まだ二十二歳、それなのに家庭という重荷を背負うことになっている!コートも新しいのがほしい、手袋ももっていない。
 ジムはドアを入って立ち止まった。ウズラの匂いを嗅ぎつけた猟犬のように、ぴたっと立ち止まった。デラをじっと見詰めた。デラには読みとれない表情だった。デラはおびえた。怒りではない、驚きでもない、非難でもなく憎悪でもない、それはデラが予期していた感情ではなかった。これまで見たことのない特異な表情を浮かべて、じっと彼女を見つめているだけだった。

text::

Della wriggled off the table and went for him.
“Jim, darling,” she cried, “don’t look at me that way. I had my hair cut off and sold because I couldn’t have lived through Christmas without giving you a present. It’ll grow out again—you won’t mind, will you? I just had to do it. My hair grows awfully fast. Say ‘Merry Christmas!’ Jim, and let’s be happy. You don’t know what a nice—what a beautiful, nice gift I’ve got for you.”
“You’ve cut off your hair?” asked Jim, laboriously, as if he had not arrived at that patent fact yet even after the hardest mental labor.
“Cut it off and sold it,” said Della. “Don’t you like me just as well, anyhow? I’m me without my hair, ain’t I?”
Jim looked about the room curiously.

藤岡訳:

 デラはよろけるようにしてテーブルを離れ、ジムの方に歩み寄った。
「ジム、ねえジム」と、彼女は声高にいった。「そんなふうに私を見ないで。わたし、髪の毛を切って売ったの。だって、あなたにプレゼントも贈らないでクリスマスを過ごせないんですもの。髪の毛はまた伸びてくるわ。ね、怒らないで、いいでしょう、仕方なかったのよ。私の髪はとても早く伸びるの。ジム、お願い、メリー・クリスマスといって。楽しく過ごしたいの。わたしがあなたに、どんなにかすてきな、とてもきれいな、すてきなすてきな贈り物を買ったのよ、分かるかしら。
「髪の毛を切ってしまったんだ」たしかめるようにジムがいった。いくら頭を働かせても、目の前の事実がまるで理解できない様子だった。
「切って、売ったの」と、デラがいった。「これまでと変わりなく、わたしのこと好きでしょう? 髪の毛が短くても、わたしはわたしなのよ、で、そうでしょう?」
 ジムは不思議そうに、部屋を見わたした。

■聖書からの引用

text::

“You say your hair is gone?” he said, with an air almost of idiocy.
“You needn’t look for it,” said Della. “It’s sold, I tell you—sold and gone, too. It’s Christmas Eve, boy. Be good to me, for it went for you. Maybe the hairs of my head were numbered,” she went on with sudden serious sweetness, “but nobody could ever

解題:

Maybe the hairs of my head were numbered:新約聖書マタイ伝からの引用ですね。これを旧訳でみると「汝らの頭の髪までも皆かぞへらる」。新訳では「お前たちの場合も、髪の毛一本残らず、髪は数えておられる」。
「私の髪の毛がなくなったからといって心配しなくても大丈夫、神様がすっかり数えてくださってるわ」ということでしょう。教会に行っていると、こうした譬えがさっと口をついて出てくるのでしょうね。
 翻訳では割り注を入れて、「マタイ伝第十章第三十節より」とするのがこれまでのやり方ですが、「藤岡訳」のようにした方がスマートかな。
ちなみに、聖書を引用する場合、旧訳だといかにも聖書らしい響きがありますが、現代読者には新訳の方がいいかもしれません。翻訳者は、このいずれも手元に用意しておかなければならないでしょう。Googleで語句を検索するとMatthewの何章何節とあるので出典は分かりますが、日本で流布している聖書の訳文は出てきません。(英語圏では「マシュー」になります。日本語共同訳はギリシャ語訳を原典としています。)
but nobody could ever count my love for you:「しかしだれもあなたへの私の愛を数えられない」。前文のnumberとこの文のcountを同じ「数える」とするか、それとも「愛を測(はか)る」と言い換えるか? それとcount my love for youという表現はネイティブにとって自然な表現か? 数える、数える、とした作者の発想を生かしたいところ。
 藤岡訳では「あなたへの私の愛は数えられない、いえ、愛を測るなんて、神様でもできないわ。」としましたが、聖書の言葉をデラが自分の言葉に置き換えたのでこのように訳してみました。count my love for youという英語表現はネイティブの許容範囲ぎりぎりのようです。

藤岡訳:

「髪の毛がなくなったのかい?」と、まるで呆けたようにジムがいった。
「探したって無駄よ」と、デラがいった。「売ったの。いいこと、売って、もうなくなったの。ね、ジム、クリスマスイブなのよ。怒らないで。あなたのためになくなったのよ。私の髪の毛は、ほら聖書にもあるでしょ、神様が数えていてくださるの」こういうと彼女は真顔になって、優しい声で続けた。「でも、あなたへの私の愛は数えられない、いえ、愛を測るなんて、神様でもできないわ。もういいでしょう、ジム。チョップを暖めるわよ」

text::

Out of his trance Jim seemed quickly to wake. He enfolded his Della. For ten seconds let us regard with discreet scrutiny some inconsequential object in the other direction. Eight dollars a week or a million a year—what is the difference? A mathematician or a wit would give you the wrong answer. The magi brought valuable gifts, but that was not among them. This dark assertion will be illuminated later on.

解題:

A mathematician or a wit would give you the wrong answer.:このパラグラフは一読では作者の意図が読みとれません。「間違った答えを与えるだろう」という発想が気に食わなくて、A mathematician or a wit would not give you the right answer.と肯定文にしたらどうなるかと考えました。デニス先生によると、「正しい答えを知らなかったので、多くの誤った答えのうちの一つを挙げた」という響きになるそうです。

この文章は「数学者や東方の賢者だったら、誤った答えをだすだろう――正しい答え(愛すること)を示すことができるのは、いわゆる賢い人たちでなく、この物語の主人公たちのような一見愚かな人たちである」と理解するのですね。さて、翻訳ではどうするか?

 さらに困ったのは、This dark assertionです。「ぼんやりと謎めいた断言」、なのでしょうが、どうして「断言」なのか、「賢者は間違った答えを示すだろう」というのが「断言」なのか? 作家の言葉遊びなのか、大真面目なのか?
英文解釈的に訳しておけばいいのかも知れませんが、「藤岡訳」では少々工夫してみました。ぼくの理解では、オー・ヘンリーの言葉不足ですね。あるいはぼくの語感が狂っているのかも。既訳の「不可解な言辞はやがてはっきりするだろう」という訳文にひっかかり、ずいぶんと時間をとってしまいました。結末を導く大事な伏線ですから、いろいろと考えてしまったのです。

翻訳ものでよくみられることですが、原文でこういっているとして、そのまま訳しておいたのでは、異なった文化圏では理解できないことがあるでしょうね。

藤岡訳:

 あっけにとられていたジムだったが、はっと我に返って、愛しのデラを抱きしめた。ここで十分間ほど脱線して、思いつきだが、じっくりと考えておきたいことがある。一週八ドルと年に百万ドル、ここにどんな違いがあるのだろうか。数学者や賢者にきいても、間違った答えになるだろう。東方の賢者は価値ある贈り物をもってきたが、その贈り物に答えはなかった。こう決め付けるとはてなと思われるだろうが、やがてこの物語で正しい答えが何であるかが明らかになるはずだ。

■断髪の麗人?

text::

Jim drew a package from his overcoat pocket and threw it upon the table.
“Don’t make any mistake, Dell,” he said, “about me. I don’t think there’s anything in the way of a haircut or a shave or a shampoo that could make me like my girl any less. But if you’ll unwrap that package you may see why you had me going a while at first.”
White fingers and nimble tore at the string and paper. And then an ecstatic scream of joy; and then, alas! a quick feminine change to hysterical tears and wails, necessitating the immediate employment of all the comforting powers of the lord of the flat.

解題:

a haircut or a shave or a shampoo:「髪を短くしようが、剃ろうが、シャンプーしようが」
orで結んだ、例の連句ですね。shaveは髪の毛を剃る。外人さんは女性でもしっかりと髭をはやした人がいるので、顔かな?とした人もいましたが、ここはすべて髪の毛のことでいいですね。当時の女性が髪の毛を短くするのは異常だったのですね。「断髪の麗人」といって大正時代の日本でもショートヘアは新奇でした。オー・ヘンリーのすぐ後の時代の二十年代に、フィッツジェラルドの描くフラッパー、断髪娘たちが登場します。
that could make me like my girl any less:anythingにかかる関係詞節。ぼくのデラをより少なく好きになるようにする――デラが嫌いになってしまうような。裏を訳すと日本語になりますね。
why you had me going a while at first:なぜぼくが最初あっけにとられたか、そのわけが。
ここでgoingは現在分詞の形容詞的用法。go a whileは「しばらく、くたばる、弱くなる、意識を失う、呆然とする」。よく調べてみたら"Random House"の動詞goの項に、to become worn-out, weakened, ineffectiveとありました。オー・ヘンリーはアメリカの作家だから米国産の辞書でみると、安心することができます。(米国産だから、かえって本家の英国語を意識していたりすることも。その逆に英国産が米語を意識していることも。)

藤岡訳:

 ジムはオーバーのポケットから包みをとりだして、テーブルに放り出した。
「誤解しないでくれよ、デラ」ジムがいった。「ぼくは、いいかい、髪の毛をカットしようが、剃り上げようが、シャンプーしようが、だからって可愛いデラが嫌いになるわけないじゃないか。でも、いいからその包みを開いてごらん、なぜぼくが最初あっけにとられたか、そのわけがわかるよ」
 白い指先が、すばやく紐を引きちぎりって包みを開いた。そして我を忘れた歓喜の叫び。そしてそれから、ああなんと!ヒステリカルな涙と嘆きの泣き声。女性ならではの早や代わりだ。デラをあれこれ慰めるため、この家の主(あるじ)の速やかなる助けを必要とする事態になってしまった。

text::

For there lay The Combs—the set of combs, side and back, that Della had worshipped long in a Broadway window. Beautiful combs, pure tortoise shell, with jewelled rims—just the shade to wear in the beautiful vanished hair. They were expensive combs, she knew, and her heart had simply craved and yearned over them without the least hope of possession. And now, they were hers, but the tresses that should have adorned the coveted adornments were gone.

解題:

The Combs—the set of combs:大文字にして、しかもダッシュ記号 ― で補足しています(記号は英文では ―、和文では全角二倍の ―― にすると収まりますね)。
このパラグラフ全体が詠嘆調です。主語を人称代名詞にしないて、名詞(句、節)で書いていますが、その気分でしょう。
「藤岡訳」は「高価なセットだ」以下、読点でつなぎました。記号 ―― も、末尾にもって行きました。こうした訳し方もあっていいでしょう。

藤岡訳:

 というのも、出てきたのが櫛だったのだ。脇と後ろに挿す櫛のセットで、デラが長いことブロードウエイでため息をついていた、あの「セットの櫛」だった。ほんもののべっ甲で、ふちを宝石で飾った美しい櫛だった。消えてしまったあの美しい髪の毛につければ、まさにぴたりの色合いだった。高価なセットだ、デラは分かっていた、でもいつかは自分のものに、そう希い、心底焦がれていたものだった。それが今、自分のものになった。だが、思い焦がれていた飾り物をつけるふさふさした髪の毛は――もうなかった。

■猫の尻尾か髭か?

text::

But she hugged them to her bosom, and at length she was able to look up with dim eyes and a smile and say: “My hair grows so fast, Jim!”
And then Della leaped up like a little singed cat and cried, “Oh, oh!”
Jim had not yet seen his beautiful present. She held it out to him eagerly upon her open palm. The dull precious metal seemed to flash with a reflection of her bright and ardent spirit.

解題:


hugは辞書に(愛情をもって)抱きしめる、ありますね。そのニュアンスを出したいところ。
a little singed cat:毛を焦がした子猫。singeで辞書を見ると「(鳥・豚など)の毛焼きをする」とあるので、毛を焼く、としてしまいそうですが「焦がす」でいいですね。ぼくは子猫が尻尾を焦がしたのかと思ったのですが。
The dull precious metal:鈍く光った貴金属。銀白色をしたプラチナですね。precious metalは金、銀、白金のことをいうので、読者には「プラチナ」としてもいいでしょう。

藤岡訳:

 だが、彼女は櫛をしっかり抱きしめた。ややあって、涙にかすむ瞳でジムをみて、ほほ笑みながら「私の髪、すぐ伸びるのよ、ジム!」と、いうのだった。
 こういうと、デラは尻尾を焦がした子猫のように飛び上がり、「あっ、そうだわ!」と叫んだ。
 ジムはまだ自分がもらう素敵な贈り物を見ていなかった。彼女はそれを手のひらにのせて、さあ手にとってと、急き立てるように差し出した。プラチナのにぶい肌が、彼女の晴れやかな燃え立つ思いを写してか、煌めいているようだった。

text::

“Isn’t it a dandy, Jim? I hunted all over town to find it. You’ll have to look at the time a hundred times a day now. Give me your watch. I want to see how it looks on it.”
Instead of obeying, Jim tumbled down on the couch and put his hands under the back of his head and smiled.
“Dell,” said he, “let’s put our Christmas presents away and keep ’em a while. They’re too nice to use just at present. I sold the watch to get the money to buy your combs. And now suppose you put the chops on.”

解題:

hundred times a day:一日に百回、ですが、何百回といってもいいでしょうね。あるいは「何度でも」でも。端数でなく、百とか千とくれば無数の感じがあります。
Dellは誤植でなく、Cobuildの文法用語でいうfamily noun(家族名詞)で、Sさんの「僕のデラ」が意味合いをつかんで近いかな。でも、顔を合わせていつも「僕のデラ」では妙なので、ペットの愛称のように「デラ坊」としてみました。

藤岡訳:

「素敵でしょう、ジム? これを探して町中歩いたのよ。これでもう一日に何百回でも時間を見られるわ。さ、時計を出してちょうだい。どんな具合か見てみたいの」
 その言葉に従わず、ジムはソファーに転がり込んで、両の手を頭の後ろにまわし、笑っていた。
「デラ坊」、とジムがいった。「ねえ、ぼくらのクリスマスプレゼントはしばらく仕舞っておこうよ。今この場で使うには贅沢でもったいないや。櫛を買う金を作ろうと時計を売ったんだよ。ね、分かっただろ。さあ、チョップを暖めておくれ」

■若夫婦の「家族年代記」

text::

The magi, as you know, were wise men—wonderfully wise men—who brought gifts to the Babe in the manger. They invented the art of giving Christmas presents. Being wise, their gifts were no doubt wise ones, possibly bearing the privilege of exchange in case of duplication. And here I have lamely related to you the uneventful chronicle of two foolish children in a flat who most unwisely sacrificed for each other the greatest treasures of their house. But in a last word to the wise of these days let it be said that of all who give gifts these two were the wisest. Of all who give and receive gifts, such as they are wisest. Everywhere they are wisest. They are the magi.

解題:

 さて最後のパラグラフです。鎌倉翻訳勉強会のIさんが課題訳を提出するとき、「今回悩んだとすれば物語を終えたあとの作者の締めくくりの言葉かもしれません。原文はかなりしつこいので、別な表現に変えてみました。まだ納得はいっていませんが、一応提出します」と添え書きをしていましたが、皆さんも同じ思いだったでしょう。こちらの読みが可笑しいのか、作者の叙述が変なのか。

the art of giving Christmas presents:「クリスマスプレゼントの習慣」、とするのが自然ですがartにこだわったらどうでしょうか。「技」を当てたいのですが、どうか?「そんな芸当なんかできやしない」の「芸当」もありますね。クリスマスプレゼントを軽蔑していえば、「そんな猪口才な真似をしやがって」になりますが、これじゃクリスチャンでなくても怒ります。

なんでオー・ヘンリーがartを使ったのか。「すばらしい習慣を生み出したart」という程度かな。artには「芸術的に高められた、そのエッセンス」のような意味合いがあります。そこであくまでartにこだわって、「藤岡訳」では「見事な離れ業」としておきました。

Being wise, their gifts were no doubt wise ones, possibly bearing the privilege of exchange in case of duplication:賢い人たちだから、その贈り物は疑いなく賢いものだった。おそらく貰った物がダブっていたら取り替えてもらえるという特典まで含まれていたことだろう――こう訳しておけばいいのでしょうが。

 「おそらく……」からの叙述が、どうもぼくにはとってつけた補足のように思えて、「賢い人の考えたことだから、プレゼントがダブったら交換してもらえるという特典まであって、現代人もその恩恵に与っている」とでもいっているのかと考えたのですが、このままでいいようです。たしかに原文が原文ですから抵抗することはないですね。オー・ヘンリーの皮肉なコメントと解して訳せればいいですね。となれば「見事な離れ業」もいいのかな?

lamely:口下手、がいいと思うのですが文中ではどうするか?

the uneventful chronicle of two foolish children;二人の愚かな子たちの、さしたる波乱もない家族年代記。chronicleを「物語」としてもいいのですが、若夫婦の「家族年代記」と理解すれば、面白味が湧きませんか? chronicleは個人の歴史にも用います。最近は「個人史」という日本語も定着してきているので、そう違和感はないのではないですか。

藤岡訳:

 ご存知のように、東方の三賢人は賢い人たちだった。あの、かいば桶に眠る「みどりご」に贈り物をもってきた、すばらしくも賢い人たちだ。この人たちがクリスマスプレゼントを贈るというだれも思いいつかなかった見事な離れ業を発明したのだが、いやそれだけではない、同じ贈り物をもらったら取り替えられるという恩典も、もしかしたら考えていたかも知れないのだが。
 さて、ここまでとつとつながら、なんとかこのアパートに住む若夫婦の、さしたる波乱もない年代記を綴ってきた。彼らは自分の家のもっとも大切な宝物を相手のために犠牲にしてしまった。だが、現代の賢者である読者の皆さん、ここでぜひとも考えてもらいたい。贈り物をする人たちは大勢いるが、この二人がいちばん賢い人たちであったといえないだろうか。贈るにしろ贈られるにしろ、大勢の人々のなかで、彼らはもっとも賢い人たちではないか。どこにいようと、彼らがもっとも賢く、彼らが「賢人たち」なのだ。

■翻訳は個性の表現である

 以上が『賢者の贈りもの』の「課題解題」です。原文はたったひとつですが、翻訳は、それこそ5万人が訳せば5万通りになるでしょう。ベートーヴェンの演奏にフルトヴェングラーがあればカラヤンがあるのと同じです。どうしてそうなるのか? 理由は簡単です。翻訳するのが人間だからです。人には性別、年齢、学問、経験、語学力、記憶力、気質、体力など、すべても事項で同じ人物はいません。その同じでない人間が表現するのですから、おのずから異なった翻訳になります。「翻訳は個性の表現である」のです。

まとめに、翻訳者の皆さんが意外と使っていない辞書を何点か掲げておきます。パソコン搭載可能な辞書はもうみなさん使っているでしょう。以下の辞書・事典はどうでしょう、電子書籍にはならないでしょうね。

『しぐさの英語表現辞典』(小林祐子、研究社)
『現代語から古語を引く辞典』(芹生公男、三省堂)
『集英社 世界文学事典』
『スーパートリビア事典』(小学館)
『岩波漢語辞典』
『岩波古語辞典』
『講談社 英和中辞典』
“Oxford Dictionary of Euphemisms”
“Merriam-Webster’s Dictionary of Allusions”

みなさんが出版翻訳をする場合、語学力はもちろんですが、まず問われるのが日本語の力です。あっさりと「日本語は大丈夫」と思わないでください。DR-ROM版の『日本語大シソーラス』(電子辞典)も使いこなしたいですね。
 またオー・ヘンリーの作品では、“100 selected Stories”(O. Henry, Wordsworth Classics)があります。100篇の短篇小説を収めて736頁、Amazonで入手したのですが、わずか245円でした。
2014.09.07 Sun l 名作読み直し翻訳講座 オー・ヘンリー l コメント (0) トラックバック (0) l top
藤岡淳吉小伝 4

写真集 ロシア1917年 付録 (1991年4月)

本訳書を、我が国の無名革命戦士に捧ぐ 藤岡啓介


 堺と郷里を同じくした川内唯彦も、世直しの志を持ち、旧家の長男であることを捨て、このころ東京に出てきた。東京外国語学校でロシア語を学ぶ。麹町の堺の家に一時居候した。朝、廊下にある洗面所で顔を洗うとき、水を撥ね散らして床をぬらす"蛮行"を演じ、几帳面な為子夫人がそれを咎めるに雑巾で拭うと、洗面器の水を夫人の頭から浴びせかけた。ペンがないところでは、上手に自己を表現できない男だった。それでも、家の主(あるじ)である堺は、きかん気の強い、無口で、片時も本を手放さぬ唯彦を、豊津中学校の同窓として、葉山嘉樹と共に、「尊敬すべき多くの同志」のひとりにあげ、信頼を寄せていた。世渡りと同様に、ロシア語の発音はとてつもなく下手だったが、解釈は正確であり、翻訳は漢籍を踏まえての文字使いもあって、流暢だった。ロシア語を学ぶことは、彼にとって革命の実践であった。

共産党宣言

共生閣閉鎖後、藤岡淳吉は彰考書院を興し、1945年12月、堺利彦、幸徳秋水の歴史的名訳『共産党宣言』を勇躍刊行。同時に『解放文庫』を続々刊行、駿河台の社屋には早朝から読者が二重三重に列を作り、『宣言』や大杉栄の『青年に訴ふ』などを求めた。上の写真は昭和21年10月の改訂版で、「彰考書院編輯部」のゴム印、「原本」「禁持出」の書き込みがある。

  一九一七年一〇月、堺は二年前「小さな旗上げ」を宣言して刊行した『新社会』で、英語からの翻訳で、わが国で初めてのレーニンの名と文を紹介した。川内唯彦は、その名誉を引き継いだ。一九四五年、前記藤岡淳吉は、敗戦という代償を払って得た“検閲のない出版”のできる喜びを、若き日に堺のもとで校正を担当した堺・幸徳訳の『共産党宣言』をいち早く世に出すことで表現したが、ついで川内の新訳レーニンを数手掛けた。後、川内はレーニン全集の翻訳家としてその功をたたえられた。
  一九二二年、モスクワで開かれたコミンテルン第四回大会に日本共産党の代表として参加、赤の広場で行なわれたトロツキーの演説を聞いたことが、後の彼が若者たちに伝える唯一ともいえる革命的エピソードだった。トロツキーはマイクを使わず、肉声で赤の広場の群衆に語りかけていた。あの広い広場全体に響き渡る、実に情熱的な演説であった、英雄であった、と。
  
  ドイツ文学者秋山六郎兵衛をして、教室に革命詩人ハイネその人がいるのではないかとの錯覚をもたせるほどに、鋭い才を持つ神吉洋士(かんき)。彼はドイツ語だけではなく、ロシア語を独習していた。当時まだ丸善から入手できた『プラウダ』などを、川内唯彦に直接ロシア語を学んだ(プロレタリア科学研究所の講習会で)友人の山内正樹に翻訳させ、左翼地下活動の機関紙に掲げさせていた。結核をわずらい、官憲も獄から出した。遠く村上源氏に祖先を持つ神吉は、病床でも誇り高く、意気軒昂であった。神吉の病いの重いことを知った友人の川崎は、何度も見舞いに行こうとしたが、ついに果たすことができぬままにいた。電車賃がなくて見舞いに行けないが、と葉書を出して見舞いとした。
 一九三三年四月、ついに危篤状態に陥った。駆けつけた友人たちの声にうっすらと目をあけ、声の主のひとりに川崎を認めると、「川崎、電車賃あったか」と尋ねた。

  山内正樹は、ロシア革命五周年を記念した集会で結成された、福岡高校社研の創立メンバーであり、八四歳の今なお、ロシア革命の原点であるデカブリスト(十二月党)を研究している。同窓の神吉などの個人記録も収めた『旧制福高社研記』を編纂した(一九八五年)が、それは、革命の翌年に結成された東大新人会の記録同様に、ロシア革命の洗礼を受けた若者たちの世代を代表する証言であり、心優しかった戦士たちへの鎮魂歌でもある。

  革命の二文字を伏せ字の「××」でしか印刷できなかった時代、書くものも、翻訳するものも、あえてそれを引き受けた印刷、製本の小企業の親方や職人たちも、装禎をした画家、文字を彫った彫金工も、皆、命がけだった。

エムエル会:右から川内唯彦、藤岡淳吉、堺利彦、一人置おいて仲宗根源和、大正11年(1922年)

  これらのひとびとの中には、後に名を残し、財を残すものいれば、市井の一市民として、親に孝をつくし、静かに子を育てたものたちもいる。革命の夢を追ったことを恥じて、青春のいく年かを自ら空白の年月としたひとびともいる。モスクワとその代弁者である主流派と異なる意見を持ったため、組織により、分派、転向者、スパイとして罵られ、生涯を自ら敗残者として生きたもの、官憲に追われ獄中に命を絶ったひとびと、天朝に逆らう息子を恥じて割腹する母、拷問リンチに不具者となり、生き恥を曝す思いで生き抜くもの、ひとりとして栄光をたたえられることのない、無数の革命戦士たちがいた。

  みな、夢を持っていた。ロシアの革命が、やがて自分たちの国の革命につながるであろう、という。インテリゲンチャだけではない。革命を知らず、語らず、毎日を手弁当で仕事を求めていたひとびとはどうだろう、現金を見ることもなく、野良仕事に腰を曲げていたひとびとは――彼らも戦士ではなかったか、いや、彼らこそ、本当の革命戦士ではなかったか。

  一九九〇年五月、機会を得てプラハを訪れた。この地で毎年開催される音楽祭『プラハの春』に、どうしても参加したかった。八九年の東欧激動の後、ひとびとはどのように「春」を迎えるのだろうか。
  街では、新しい体制の選挙運動が賑やかに行なわれていた。ファシズムの罪業を、ソ連のそれと併せて摘発する街頭キャンペーンもあった。スターリンの首のはりぼてが、トラックに乗せられ、市中を巡回していた。誰の、とはいわず、葬るべき人物の棺桶を掲げた葬儀のデモンストレーションもあった。オールドタウンの土産物屋で、ローマ教皇ヨハネ・パウロニ世の額入りの写真をむしりとるように買っていく、ポーランドからの旅行者がいた。レストランの前では、民族音楽の演奏が行なわれ、白髪の老婆が楽しげに両の手を広げながら指揮をとっていた。美しい娘たちが、ロンドンで発行されたヨーロッパ版の国際新聞を売っていた。これまでになかったことが、予想を越えた勢いで、現実となっているようだった。

  音楽祭は、四十五年ぶりに故国のオーケストラを指揮するR・クーベリックの『わが祖国』で始まった。スメタナ・ホールでは、誰も彼もが上気していた。ブラニークの森にひそむ救国の戦士たちが現われた、それがクーベリックであり、バベル大統領であり、そして、だれよりも自分たちなのだーひとびとは肩を張り、あごを上げてスメタナを聞いていた。そのように見えた。そして、この場に、自分のような異邦人がいることが、似つかわしくないものに思えた。自分は決して、彼らの仲間にはなりえないのではないだろうか。彼らの心の中にある想いのひとつひとつに、どうして自分が立ち入ることができよう。

  幸徳秋水が大逆の獄中より母に寄せて書いた、

       鳩鳥喚晴姻樹昏。愁聴点滴欲消魂。
       風々雨々家山夕。七十阿嬢泣椅門

  この漢詩をプラハの人は読むことがない。その絶句を「幸徳秋水獄中懐母」として軸に書いた枯川堺利彦の心情、そして今、なぜに堺の残した秋水の詩句が、晩年の父淳吉の像と重なり、

  小鳥たちは集い高くさえずり、木々は夕霧に煙る。雨滴のしたたり、もの悲しく、わが心、力萎えいく。
  風に雨に、想うことは故郷のありさま。老いし七十の母、今日も門にすがり、われを待ち涙することか

と読むことで、私の心にそくそくと響ものがあるのを彼の地の人が付度することができないように。それは、まったく異なった時空のことではないか。プラハの春を、私が理解できないように、誰も理解しなくてよいことであるのだ。それぞれが、それぞれに、歴史への参画者であり、戦士であることを自覚すればよいのだ。

  プラハを離れるとき、空港に向かうタクシーの中で、運転手がさかんに語りかけ、問いかけてきた。日本のビデオは素晴らしい。おれはフランクフルトにいる妹に買ってもらった。見るかい、そいつは手元から離したくなくてね、車のトランクにいれている、見るなら止めるよ。みんな車で旅行するよ。ハンガリーやユーゴスラビアにバスで旅行するんだ。向こうからも、ここへ来ている。アメリカ人と、ドイツ人と、ポーランド人だ。ウィーンには三時間もあればいい。だが、ウィーンではまずいんだ、ハンガリーやポーランドから行く連中がかっぱらいや万引きをやってね、おれたちまで、人気がないんだ。やッ、見てくれ!ここが共産党の本部だ。今は、なにかの研究所になっているが、見てくれ、よく見てくれ。止まろうか、いいかね。―― “ La commedia é finita!”(喜劇は終りぬ) そして彼はアクセルをぐいと踏んだ。けたたましく、声高に笑った。

  ドイツ語と英語とロシア語、三つの言葉を混ぜ合わせて交わしたわれわれの会話は、イタリア歌劇『道化師』の結びの叫びで終った。運転手の饒舌は、空港につくまでの二十分間、もはや聞かれなかった。

  この訳書を、わが国の無名革命戦士に捧げるのは、この時期、皮肉であろうか。今、ソ連・東欧のひとびとは自由と民主主義を叫んでいる。彼らが叫び求める自由と民主主義は、この日本にある。その結果の繁栄がある彼らが羨望の眼差しで、われわれを見つめている。だが、われわれもまた、自由と民主主義を問い直しているのではないか。彼らが四十年余、いや七十年余に渡って演じた喜劇を、われわれは喜劇として捉えてよいのだろうか。それどころか、われわれが今、彼らがまだ経験していない喜劇を演じているのではないだろうか。

  われわれの無名革命戦士たちは、まだ最後に笑う勝利者を認めていないはずだ。われわれは「これが自由かね、民主主義かね」と迫る、見えざる姿に脅えてはいないか。本書の中の七十三年前の戦士たち、われわれの記憶にある、われわれの戦士たち、そしてわれわれ、みな夢を持ち、志を持っているはずだ。人間には、人間としての自らの尊厳を主張する権利がある、との。その権利を革命という形で見せた一九一七年が世界に与えた衝撃を、再び今、われわれは衝撃として受け止めている。それは幸せなことではないか。

(一九九〇年夏、訳者藤岡啓介記)



2014.06.13 Fri l 5.4 喜劇は終わりぬ l コメント (0) トラックバック (0) l top
写真集 ロシア1917年 付録 (1991年4月)
本訳書を、我が国の無名革命戦士に捧ぐ 藤岡啓介


 今私たちがいう「驚天動地」のロシア一九一七年を、私たちの父であり、祖父である日本の青年たちは、どのように過ごしていたのだろうか。どのように、その、社会転覆のニュースに接していたのであろうか。ここに伝えた、ひとつの小さな記録は、筆者の父親の書き留めていたノートからのものであるが、彼は、彼なりに、この年を世界史的に受け止めていたようである。

 そして、彼の、同じように貧しかった友人たち、知人たち、貧困を社会的不正義として許さなかった若者たちは皆、ロシアの出来事を、自分たちの問題を解決するための燭光としたのであった。

 彼の郷里の先輩で、社会主義者であり、後に奇妙な国家社会主義者となった人物がいる。その父親は土佐の新聞記者で、あるとき、東京で開かれる博覧会に鯨を生きたまま引いていくことを思いついた。借金をし、船と水夫を雇い、鯨を引いて紀州灘にさしかかったところで、鯨を逃してしまい、夢敗れ、貧困の中で死んだ。息子はそれでも、母親の手内職で中学に行けた。校庭で見せられた皇太子(後の大正天皇)の手植えの式典を、悪童たちと繰り返し演じて、放校された。学費を出してやるという社長さんが現われたが、自分も貧しかったが、もっと貧しい子たちがいると振り切って、なんの成算もないままに東京に出て堺を訪ねた。

 父親同様に、天性のロマンチストであった。憐欄も、拘束も嫌った。貧しいことをなくすことが、自由人北原龍男の志だった。米騒動は、大阪で尾行と一緒に見に行った。
すでに、一人前の社会主義者だった。彼は大正八年五月に、『マルクス資本論解説』(カウツキー、高畠素之訳)を出版した。「マルクス」の四文字を金箔で背に打った最初の本だった。

 日中戦争が始まると、大陸に渡った。中国をつぶさに見て、やがて毛沢東の八路軍が、この広大な大地を治めることを予見した。中国共産党に"貸し"を作ることが、日本の国策であらねばならぬと、時の北支那方面軍参謀長山下奉文に進言した。山下の許可を得て、日本兵と軍用車を使って新彊の阿片を天津に動かし、調達した資金を中国の革命組織に撤いた。蒋介石を一日も早く倒すことが、中国と日本のためと信じてのことだった。山下と毛の会見を策したロマンチスト北原の構想は、"北原大人"の伝説を北京ホテルに残して消えたが、毛沢東は予見通りに天安門楼上に立ったのだった。

 このころ、たくさんの青年たちが、革命の志を持って堺や山川の傘下に参じていた。(つづく)

2014.05.19 Mon l 5.3 喜劇は終わりぬ l コメント (0) トラックバック (0) l top
5.喜劇は終わりぬ その2

写真集 ロシア1917 付録(1991年4月)
本訳書を、わが国の無名革命戦士に捧ぐ 藤岡啓介


 翌一九一八年、大正七年の夏、"普通の"女たちの井戸端会議から発した米騒動が内地を震憾させた。赤露侵略のシベリア出兵も始まった。貧乏人の彼が職を得た会社が貧乏人に襲われ、本社が焼き討ちにあった。十六才の彼は、思いたって同僚を集めた。「君達は、単に食うために鈴木に入った訳ではあるまい。食うだけなら、犬でも猫でも食っている。われわれは志を持たねばならない………今後の商人は、たとえ一つの商品を動かすにしても、ただ儲けさえあればよいと考えてはならぬ。それが社会のひとびとに役立ち、社会から感謝されることが肝要である」。

 鈴木商店大連支店に、「旭会」なる勉強会が誕生した。機関紙を「あさひ」として、謄写版で発行した。創刊号に「米騒動と鈴木商店」を掲げた。旭会は解散、機関紙は一号で廃刊となった。発行人の彼は長春の出張所に飛ばされた。
馬糞と泥土の混ざった砂塵の巻き上げる、零下二十度の寒さの中で、彼は考えた。満州の国土は中国のものである、そこに鉄道を敷き、軍隊を駐屯させて勝手なまねをしているのが、日本帝国主義である、しかも、そのことによって莫大な利益をあげているのが一部日本の財閥ではないか、俺は、その財閥の一つである鈴木商店の一兵卒ではないか。何とも、あさましい思いがした。尊大にふるまう、低劣で下等な一部の在満日本人にも、嫌気がさした。

 一方、新聞では、社会主義同盟が結成されたこと、大争議が全国各地で発生していること、八幡の溶鉱炉の火が消えたことなどを、センセーショナルに報じていた。ロシアの労農政権樹立も報ぜられた。北満の荒野で独り、血が騒いだ。出たばかりの高田保馬の『社会学原理』や丘浅次郎の『進化論講話』、山川均の『社会主義研究』に給金を投じた。大正十年四月、彼は東京の堺利彦のもとに手紙を書いた。「………この際上京して先生の膝下ではたらきたいと存じます………」。堺から返事がきた。「貴信正に拝見。その悲壮なる決意に対し、深く敬意を表します。大兄のような有能な士が、一人でも多く、わが戦列に参加されることは、何よりも心強い次第です。ぜひ、上京されたし。折角の御健闘祈る」。

 長春の責任者は驚いた。驚いて、引き止めた。社会主義は学問だけにしておけ、辛抱すれば、出世も出来よう、口添えもしてやろう、と。彼は「鈴木商店退社の辞」を書き、印刷し、総帥金子直吉他全役員、本支店社員宛に送った。「顧みれば、私が鈴木商店へ入社したのは大正六年六月である。在勤わずか四ヶ年で退社するに当たり、悟越ながら鈴木商店の全員に向かって、私は次のことを申し上げたい。鈴木商店の繁栄は、もとより諸氏の努力の結果であるが、それは社会あってのことで、社会なくしてはありえない。日本資本主義社会の発展の賜物であり、幸運の所産である。しかるに、去る大正七年の米騒動では、財閥中ひとり鈴木商店のみが焼き討ちにあった。このことは、鈴木商店で働くもの全員が当然に考えなければならぬ重大な問題であった………かくて資本主義は遅かれ早かれ崩壊し、社会は社会主義に向かって進む。この歴史の動向を知らずして、いつまでも鈴木商店が繁栄するものとのみ考え、安閑として暮らしている諸氏は不幸である。私はいまだ年少であるが、この社会の動向を察知して、今回、鈴木商店を去り、幾多の困苦を覚悟で社会主義運動に身を投ずるものである。笑うものは笑え!最後に笑うものが勝利者である!“暴言多謝」。

 十九歳の誕生日に、彼は東京に向かった。懐には、土佐の娘と、伯母と、堺の手紙をしのばせていた。半年の後、暁民共産党事件で市ヶ谷の監獄につながれた。未成年監であった。鈴木商店はそれから六年の後、昭和二年(一九二七年)まで生き延びたが倒産、昭和金融恐慌の引き金となった。これが、彼藤岡淳吉のロシア革命体験であった。(つづく)

            淳吉18歳

「カントもヘーゲルも上層建築物のたたき大工だといった頃 19歳」との添え書きがある。
2014.04.05 Sat l 5.2 喜劇は終わりぬ l コメント (0) トラックバック (0) l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。